お口に合わないようで・・・

モヒは口が悪い。

「ばばあ」
「くそばばあ」
「うるせんだよ、このやろー」
「べろべろばー」

それを躍起になって止めるよう叱っていたのだが

先日から急に
悪い言葉を使った直後に、口元に“おほほ”というように手をあてて

『お口に合わないようで〜〜』

とマダムのように言うのである。


これはちょっと面白い。
怒るのも忘れてしまうのである。

父親と共通の

ご存知かもしれないが
我が家の旦那様は、子供の相手が出来ない。


なぜか。
自分の予定の中に子供のスペースが無いから、という理由に尽きる。


テレビを見てたら、邪魔する存在。
車を運転してたら、うるさい存在。
お風呂に入れば、水をかけるやっかいな存在。
食事をすれば、こぼして許せない。


そんな事をするのが子供だと思うのだが
子ども自身が目に入ってないので、
自分の生活を乱す相手としか思ってないように思える。。。


幼児のうちは、一方的に旦那に怒られるばかりだったモヒだが、
もう小学生。
隙あらば、めっちゃ立派に反抗する(笑)
休みの日は、寄らばケンカで、本当にめんどくさい。


ところが、めちゃくちゃ気の合う代物を発見!!
これに関しては2人でいそいそと購入しに出かけ、話題に事欠かないようだ。


それこそ、かの有名な『ドラゴンボール

…漫画ですけど。。。

とりあえず、漫画でもいいので
父と息子は7年かけて共通項を見出したのでした。

全34巻。(完全保存版だからね)

あと何冊あるやら^^;

2年生に

2年生になった。

あのかわいい黄色い帽子をかぶらなくなって
姪っ子が中学生になっちゃって、一人で登校するようになって
足のサイズは22.5cmになって
ラーメンは一人前、ご飯は3膳食べる。


片付けが50%くらいの確率でできるようになった
お手伝いができるようになった
音読が大きな声で自信を持って読めるようになった


ママ、一緒に寝て〜って言わないで、いつの間にか寝るようになった。


だいぶお兄ちゃんだね♪
っておもったら



漢字の写しと文章問題大嫌い
怒られても怒られても歯磨きに集中できない
食べこぼす
ごめんなさい、が大事な場面だと言えない



俺将来何になったらいいと思う?って聞くから
前に、スパイダーマンって言ってたよ、って言ったら


「それはなれない夢でしょ〜。なれるやつ!」


なんだろね〜。何がいいの?って聞くと


「捨てられてる動物を飼う人がいいかな♪」だそうで。


それって、何の仕事かな?と思ったが
何も言わなかったけど、震災で飼い主と離れてしまった犬たちをテレビで前に見たから
彼なりに心に来ていたらしい。


子どもは心の奥で、たくさん何かを思ってるんだよねー

私が「いい人だ〜」と思って
長年お付き合い、お仕事上のパートナーもしてくださっていて
嫌な思いは一度もしたことない方なんだけど


あの人とは反りが合わないので距離を置きたいんです


と、ある人に打ち明けられた。


なんだか、私は自分の事のように胸がいたい。


私にとっては大事な存在だし
とっても気遣いも細やかだったり、逆に見ないふりもたくさんしてもらったり


人によっては見え方って、相当違うんだな〜と思う。


特に、はじめましてから、そう時間が経ってない方からの突然のお話だったので
衝撃的な発言…。


何があったのだろう


相性や、その時の対応などで、何か問題があったのかもしれないが
介入の仕様がない。残念。



よく考えてみると、私はこういった付き合い方は絶対しない。


お会いして、その人がどんな人かわからないうちに、反りが合わないな、とは考えないだろう。


ま、私の場合もっと悪い事に
じっくりギリギリまで付き合って、何度もチャレンジしてみて
それでも駄目だとなったら、全く付合わなくなる。社交辞令も何もかもなしで、
世界にいなくなるくらいの勢いで^_^;


人間関係って難しい。


でも合う、合わない、許せる、許せない、って人によって違うんだろうな。。。


私は、私の大事な人たちと過ごすこと。
素敵だなと思えるような人と出会えるように過ごす事。
こんな所が素敵と、理解できるような付き合いをする事。


それを心がける

雪遊び

「ママ!これって夢じゃない〜??!!」
と窓の外を見て、雪におおはしゃぎしたモヒ。




翌朝、喜び勇んでFULL着替えを一式持って登校したものの
残念ながら校庭立ち入り禁止のもと、全く雪遊びできずに帰宅。


昼間はいい天気で、昨晩は本当に夢だったのかもとがっかり。




夜、犬の散歩で、道端のよけられた茶色い雪を
足でつついたり、犬をわざと上に乗せたりして
「ねっ!冷たいでしょ〜。雪ってたのしいんだよ〜。」と
犬相手に雪遊び。




都会って、さびしいな〜

アザラシの発音

モヒ。英会話教室に通い始めて、1年半。
まだまだ会話になるには程遠い。


今日久しぶりにクラス終了後に
「今日習った言葉を言ってみよ」と言わせてみた。


すると…


「シェーァェ」というではないか。なんぞや?


も一度言わせても
「シェーァェ」。。。。


に、日本語でいってくんない?と、恥ずかしながら聞いてみたら
“あざらし”の『シール』のことだった!(^^)!


『シ』も『ル』も、私の概念の音と全く違う…。愕然である


日本人と言えば、問題視されるのは大抵『R』の音である。
あの巻き舌チックな発音方法に注意が行きがちなのだが


子音の『S』や、Rではなく『L』がこんなにも違うんだ…とビックリ。



私も外国人に最初から習いたかったよ。

死に方を考える

死に方って考えた事ありますか?


自分のはもちろんのこと、家族に聞いたことありますか?


死に方と言ってもhow toではなくて^_^;
whereとhowの事です。


父が先年亡くなったばかりですので、我が家では非常に現実的な話題なのですが
現代医療で、たぶん3大成人病で病院にかかり、余命いくばくもなくなったとしたら
しっかりと、その時点(というかそれ以前に)死にかたを決めておかないと
いつの間にか、高カロリーの栄養やら、利尿剤やら、強心剤やら
1日でも生きながらえるためのたくさんのものがを処置されます。


それは、少しでも長く=延命であり
本人の体としては、死に向かってすすんでいるので、逆行する処置であり
自然とは正反対の方向に進むようにすごく強力にされれるため
苦しみもひどく、栄養は行き届き、心臓もしっかり拍動しているので
最後の最後まで苦しいという意識もはっきりしています。


父も本当に辛かった。
腹水は溜まり続け、眼はしっかりと開き、意識もありました。


でもだからと言って、一体どの段階で処置を止めてもらえるというのでしょうか。
もしかしたら、持ち直して元気になるかも入れない、と家族は最後の一瞬まで願っているものです。


でも先日読んだ本に、こう書いてありました。


人間はよくできていて、亡くなるまでには、全身の機能がすこしずつ衰えてゆき
静かに眠るように、意識も薄らいでゆくのが本来だ。
昔は家で亡くなる方が大半だったが、見守る家族も、
眠るように亡くなっていく親や祖父母を落ち着いて看取る事がほとんどだった。


医療の発達は、もちろん世の中に役立っています。
でもその医療をどこであきらめるか。
いつ自然に帰るか決めるのは、誰なんでしょうか?


病気になる前の雑談で、何気なく話しておくのが一番かもしれません。