ゴスペルコンサートに行く
姉妹クワイやのコンサートにうかがう。
先生が同じなので、曲も少々かぶるのだが
まったくの違いに驚く。
統一感
ハーモニーの落ち着き
発音からシューズに至るまでの、繊細な気の使いよう
演出
笑顔
歌のうまいへたというより
こだわるポイントの違い、目標の違いという気がして
おのずと、このクワイヤの組織というか内部にまで想いが行ってしまった。
こういううがった見方はいけないね。
カリスマ的統率力のある人にひっぱってもらう状態は、
美しくはなるけれど
どうも落ち着かない。
ゴスペルは、私の位置づけでは、「誰でもいい」という状態が一番だとおもってしまう。
ソロは、誰がやっても味がある。
前にでなくても誰が賛美の言葉を挟んでも構わない
歌う喜びを全員が同じだけ。という楽しさを。
クオリティ、とか、完成度、とか、どうでもいいような気がするのだ。(よくはないか。)
コンサートは、観客もいるし、完成度が高くないといけないか。
でも、今日のコンサートは素晴らしかったけど
何だか寂しいなぁ、という気もしてしまった。
いえいえ、素晴らしかったんですよ。最高に。
歌声も、ハーモニーも、ノリも。
どれだけ努力されたのかと思うと、感動もひとしお。
きっと、そのクワイヤによってカラーが違うものなのね。
それはきっといいことね。
見習うべきところは、山のようにありました。